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戦国武将に一番似合う現行車は何か、本気で考えてみた

戦国武将に一番似合う現行車は何か、本気で考えてみた

2025年08月12日 13:07

「是非に及ばず」

本能寺で燃え盛る炎を背に、そう呟いたとされる織田信長。

「わしの城は、動く城ぜよ」

そう言って、黄金の茶室を組み上げた豊臣秀吉。

「鳴かぬなら、鳴くまで待とう、ホトトギス」

天下泰平の世を築き上げた、忍耐の人、徳川家康。


群雄割拠の戦国の世を、それぞれの哲学と戦略で駆け抜けた猛者たち。もし、彼らが現代にタイムスリップし、自らの馬印(うまじるし)の代わりに一台の「馬(クルマ)」を選ぶとしたら、一体どんな車種のキーを握るのだろうか。

ここ信州松本の地で、かつて武田と上杉が鎬を削った歴史に思いを馳せながら、そんな壮大な思考実験に没頭してみた。これは単なる空想ではない。武将たちの生き様、美意識、そして天下統一への戦略は、現代の自動車が持つコンセプトやテクノロジーと、驚くほどシンクロするのだ。

今回は、数多いる武将の中から特に個性の際立つ4名をピックアップし、彼らの魂に最も響くであろう「現行車」を、独断と偏見、そして最大限のリスペクトを込めて選定してみたい。


【第六天魔王】織田信長 × テスラ モデルS Plaid


「旧時代の惰眠を貪る者どもよ、これが“天下布武”の速度だ」

まず筆頭は、破壊と創造のカリスマ、織田信長。既成概念を嫌い、鉄砲の集団運用や楽市楽座など、革新的な政策を次々と打ち出した彼が、古臭いガソリンエンジン車に興味を示すはずがない。南蛮渡来の物好きで知られる信長が選ぶのは、間違いなくこれだろう。

テスラ モデルS Plaid。

カリフォルニアからやってきた、自動車業界の構造を根底から覆す「黒船」。その選択には、明確な理由がある。

第一に、その圧倒的な加速性能。 最上位グレード「Plaid」の0-100km/h加速はわずか2.1秒。静かで暴力的な加速は、長篠の戦いで武田の騎馬隊を打ち破った、あの電撃的な新戦術を彷彿とさせる。「ちまちまとエンジンを唸らせておるわ」と旧来のスーパーカーを鼻で笑い、音もなく抜き去っていく姿が目に浮かぶ。テスラの加速は、信長の電撃作戦そのものだ。

第二に、その合理性と先進性。 物理ボタンを排した巨大ディスプレイや、ソフトウェアアップデートで進化し続けるという概念は、身分に拘らず能力主義を徹底した信長の合理性と完全に一致する。オートパイロットで高速道路を巡航しながら、次の戦略を練る。無駄を嫌い、常に最短距離で天下を目指した信長にとって、これほど合理的な移動手段はない。

そして最後に、その存在が放つカリスマ性。 テスラは単なる移動手段ではない。「未来」そのものを体現するアイコンだ。信長がその身にまとった南蛮具足のように、テスラを乗りこなすことは、自らが時代の最先端を行く者であるという強烈な意思表示となる。「是非に及ばず」と呟き、ガソリンスタンドに並ぶ列を横目に、自邸でスマートに“兵糧”を補給する。そんな第六天魔王の姿は、まさに現代の天下人だ。


【人たらしの太閤】豊臣秀吉 × レクサス LX600 "EXECUTIVE"


「皆の者、よう乗ったな!さあ、わしの動く黄金の茶室へ!」

農民から天下人へと駆け上がった、史上最高の出世頭、豊臣秀吉。彼の最大の武器は「人たらし」の能力。そして、その権威を天下に示すため、黄金の茶室に代表される絢爛豪華なものをこよなく愛した。

そんな秀吉が選ぶ一台は、自らの快適さ以上に、**「いかに客をもてなすか」**という視点が重要になる。彼が選ぶのは、この一台以外に考えられない。

レクサス LX600 “EXECUTIVE”

キング・オブ・SUV、ランドクルーザーをベースに、日本の「おもてなし」の精神を注ぎ込んだ最高級モデル。特に後席の快適性を極めた4人乗り仕様“EXECUTIVE”こそ、太閤秀吉の愛車にふさわしい。

まず、その圧倒的な威容と豪華絢爛な内装。 巨大なスピンドルグリルは諸大名をひれ伏させるに十分な迫力だ。しかし一度中に入れば、そこはもう安土桃山。最大48度までリクライニングし、専用コンソールや冷蔵庫まで備える後部座席は、まさに走るVIPルームだ。「おお、利休よ。この『リヤシートエンターテインメントシステム』で一服点ててくれんか」と、千利休を隣に乗せてご満悦になる秀吉の姿が目に浮かぶ。

次に、その**“おもてなし”思想**。 秀吉は、陣中に茶室を設けて敵将を招き、戦意を削いだという。LXの“EXECUTIVE”は、まさにその思想を体現している。敵対大名すらこの後席に招き入れ、「一献どうじゃ?」と誘い込む。その快適さに骨抜きにされた相手は、戦う前に秀吉の掌の上だろう。

そして、どんな悪路も走破する信頼性。 元々は砂漠から雪道まで、あらゆる道を走破するために生まれたランドクルーザーの血統。その信頼性は、農民から天下人まで、どんな困難も切り抜けてきた秀吉の人生そのものと重なる。派手なだけではない、揺るぎない地力の強さ。それこそが、太閤秀吉が天下を取れた本質であり、LXが世界中のVIPに愛される理由でもあるのだ。


【東照大権現】徳川家康 × トヨタ センチュリー


「鳴かぬなら、それでよい。泰平の世は、静寂の中にある」

長き戦国を終わらせ、江戸幕府の礎を築いた徳川家康。「鳴くまで待とう」の句に象徴されるように、その本質は忍耐、慎重、そして質実剛健にある。派手さを嫌い、虎視眈々と天下統一の機会を待った。

そんな家康が選ぶ車は、自己主張が激しくてはならない。しかし、内には誰にも揺るがすことのできない権威と哲学が宿る。その答えは、日本の自動車史の中にただ一つしかない。

トヨタ センチュリー

皇室や総理大臣の公用車としても使われる、日本が世界に誇るショーファードリブンカー。これこそ、東照大権現・徳川家康が乗るべき「馬」である。

第一の理由は、その圧倒的なまでの“用の美”と質実剛健さ。 センチュリーのデザインは華美ではない。しかし、熟練の職人が手作業で生み出す、漆塗りのような深みを持つ塗装や手彫りの鳳凰エンブレム。その“用の美”は、派手な甲冑より機能性を重視した家康の哲学に通じる。「見せかけの豪華さはいらぬ。真価は長く付き合うことでわかる」と、静かに語るだろう。その佇まいは、まさに江戸城の天守閣だ。

第二に、後席の乗員を守り抜くという絶対的な思想。 センチュリーの主役は後席の乗員だ。外部の喧騒を遮断する静粛性、羽毛のよう乗り心地。全ては、主君が心穏やかに天下国家について思案を巡らすためにある。これは、自らが矢面に立たず、優秀な家臣団を巧みに使った家康の統治スタイルそのものだ。「わしは後席で泰平の世を描く。運転は忠勝に任せた」と、本多忠勝にキーを預ける。家康自身は、決してハンドルを握らないだろう。

最後に、その**“目立たない”という最高のステータス**。 誰もが振り返る派手さはないが、わかる人が見れば、その車の持つ意味と格を瞬時に理解する。これこそ、豊臣政権下で爪を隠し、実力を蓄え続けた家康の生き様と重なる。不要な軋轢を避け、機を待つ。センチュリーが持つ静かな威圧感は、まさに天下泰平を築いた大権現のそれに他ならない。


【奥州の独眼竜】伊達政宗 × シボレー コルベット (C8)


「伊達の生き様、見せてくれよう。このミッドシップの鼓動と共に!」

「生まれるのがあと10年早ければ、天下を獲れた」とも言われる、奥州の独眼竜・伊達政宗。彼の代名詞は「伊達者」の語源にもなった、粋で派手な美意識だ。黒漆五枚胴具足に金の三日月の前立ては、彼の野心と自己プロデュース能力の高さを象徴している。

そんな政宗が選ぶのは、伝統や常識に縛られない、スタイリッシュで野心的な一台だ。

シボレー コルベット (C8)

アメリカンスポーツの象徴が、伝統のFRを捨てミッドシップへと変貌を遂げた野心作だ。これこそ、中央の常識に囚われず、奥州から天下を狙った政宗の魂を宿す車だ。

まず、その戦闘機を彷彿とさせるアグレッシブなデザイン。 低く構えた鋭いフロントマスク、大胆なプロポーションは、まるで獲物を狙う猛禽類のよう。これは、失った右目に眼帯をし、それを逆手にとって自らのアイコンとした政宗の美意識と完璧にリンクする。「どうだ、このわしの馬は。そこらの退屈な馬とは作りからして違うだろう?」と、自慢げにその流麗なボディラインを撫でる政宗の姿が目に浮かぶ。

次に、伝統を破壊するミッドシップレイアウトという“下克上”。 コルベットが長年の伝統を捨てたことは、自動車業界における一種の「下克上」だ。運動性能のため過去の成功体験を切り捨てた決断は、父を退け、弟を斬って奥州の覇者へと突き進んだ政宗の苛烈な生き様と重なる。背中で轟くV8エンジンの鼓動を感じながら、「中央の連中が築いた安寧など、わしが突き崩してくれるわ」と、不敵な笑みを浮かべるに違いない。

最後に、その意外なほどの快適性と実用性。 スーパーカー然とした見た目とは裏腹に、乗り心地は快適で実用性も備えている。これは、派手なパフォーマンスの裏で、一流の文化人であり、優れた統治者でもあった政宗の多面性を表している。戦(サーキット)では牙を剥き、城下(日常)では民を想う。コルベットは、そんな独眼竜の複雑な魅力を余すことなく体現した、最高の相棒となるだろう。


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